さて、目標の100万円が貯まり、英会話の学習も順調に進んでいたので、留学先を探し始めました。ワーキングホリデーも選択肢にありましたが、しっかり勉強したいのとアメリカに行きたいと思ったので、留学ガイドブックのような本で、学費が安く、日本人があまりいない学校20校ほどに手紙を送りました。(今のようにインターネットで検索なんてできない時代でした)そうしたら10校ほどから返事が来て、その中で一番学費が安く、聞いたことのない土地にある、アーカンソー州立大学ESLコースに決め、入学申込書を出しました。他の2人はもう少し資金が必要なため、1990年夏、私が先夢に向かってアメリカへと出発しました。しかし、途中乗り換え空港のダラスで空港職員に別室に連れていかれ、スーツケースの中を全部調べられてる事態に。。。あー、次の飛行機に間に合わない!と思っていたら、「もういいよ、良いフライトを!」なんて言われて、急いで乗り換えの飛行機に乗りました。謝罪の言葉も何もなくて、間に合わなかったらどうしてくれたんだろう!とモヤモヤしながら、目的地のメンフィス空港到着。大学が手配してくれたタクシーに乗ってホテルに向かう事になっていましたが、待ち合わせの場所が良くわからなくて、空港で人に聞いたのですが、何て言っているのかわからない!これは衝撃でした。あれだけ日本で勉強してきたのに、早くて本当にわからないのです。3人くらいの人に聞いて、それぞれの人の話を繋ぎ合わせて、おそらくここだろう、という場所で待っていると、もう一人日本人の青年が来て、その人も同じ大学に留学しに来ていると知り、一安心でした。間もなくして、タクシーが到着して、指定のホテルに着いたのは夜でした。
留学先が決まる
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