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アメリカでの生活がスタート!

アーカンソー州立大学はアーカンソー州のジョーンズボロという町にあります。次の朝、大学のお迎えを待つためにロビーに行くと、3人の日本人がいました。全員同じ大学にこれから留学するらしく、自己紹介をしてすぐに打ち解け合いました。しばらくすると、お迎えの先生が来て、いざ大学へ。私たちが学ぶのはELS(English for Learners as a Second language)と言うコースで英語を母語としない学生のための語学コースです。説明を一通り受けた後、自分たちが住む学生寮に向かいました。7階建くらいの女子寮で2人部屋、しかしルームメイトはまだ決まっていない様子でした。しばらくしてアメリカ人のルームメイトが決まり、学校の授業が始まりました。クラスは15人くらいで7割が日本人。他はイタリア、グリース、ロシア、中東の国の人だったでしょうか。こんな田舎でも日本人の割合は多く、そして連んでしまうのです。私も自然とその中に入ってしまって、授業以外は日本語を使ってしまうようになりました。それでもルームメイトが部屋にいる時は一生懸命英語で話していましたし、徐々に会話力がついてきた実感が湧いてきた頃、そのルームメイトの子と日本人仲間の男の子が付き合い始め、2人でアパートを借りると言って部屋を出て行きました。その2人を引き合わせたのは私ですが、困った事は、相部屋を1人で使うと寮費が高くなってしまう事です。私にとってこれは、大問題でした。

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日本に帰る前に、1人でアメリカ横断旅行

さて、ESLコースの授業は順調で、成績も悪くなかったので、1年間の予定が10か月ほどで終了し、残り2か月は大学の授業の聴講生として通わせてもらえました。その間にアメリカの自動車運転免許を取り、自分でお父さんのトラックを運転して通学したり、買い物に行ったりもしていました。小学校に6歳の子のお迎えを頼まれる時もあり、いくら言ってもトラックの荷台に乗ってしまうので、ハラハラしながらゆっくり運転したのを覚

寮を出て、ホームステイ

そのことを学校の先生に相談し、アメリカ人の家にホームステイしようと決めました。先生は「任せなさい。きっといいホームステイ先を見つけてあげる」と約束してくれました。そしてその言葉通りに、すぐに条件のいいファミリーを探してくれました。そのファミリーには3歳と6歳の男の子がいて、その子たちのシッターをしてくれたら、家賃も食事もタダ!学校の送迎もしてくれるという好条件に二つ返事でOK しました。そのホスト

留学先が決まる

さて、目標の100万円が貯まり、英会話の学習も順調に進んでいたので、留学先を探し始めました。ワーキングホリデーも選択肢にありましたが、しっかり勉強したいのとアメリカに行きたいと思ったので、留学ガイドブックのような本で、学費が安く、日本人があまりいない学校20校ほどに手紙を送りました。(今のようにインターネットで検索なんてできない時代でした)そうしたら10校ほどから返事が来て、その中で一番学費が安く

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