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寮を出て、ホームステイ

そのことを学校の先生に相談し、アメリカ人の家にホームステイしようと決めました。先生は「任せなさい。きっといいホームステイ先を見つけてあげる」と約束してくれました。そしてその言葉通りに、すぐに条件のいいファミリーを探してくれました。そのファミリーには3歳と6歳の男の子がいて、その子たちのシッターをしてくれたら、家賃も食事もタダ!学校の送迎もしてくれるという好条件に二つ返事でOK しました。そのホストファミリーは、お父さんがスーパーの商品を揃える仕事で夜中の勤務で、朝帰って来て午後まで寝ています。お母さんは空港の管制官の仕事で勤務時間は不規則です。なので、時々私と子どもたちだけで過ごす事もありました。ところが、その6歳の男の子がとてもとてもワイルドで、わんぱくで、乱暴で、言うことを全く聞いてくれません。お母さんがファミリーの大黒柱で、一番偉いポジションなので、お母さんが家にいない日は本当に大変でした。徐々にそのような日が来るのが怖くなり、大きなストレスになってきました。

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アメリカでの生活がスタート!

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留学先が決まる

さて、目標の100万円が貯まり、英会話の学習も順調に進んでいたので、留学先を探し始めました。ワーキングホリデーも選択肢にありましたが、しっかり勉強したいのとアメリカに行きたいと思ったので、留学ガイドブックのような本で、学費が安く、日本人があまりいない学校20校ほどに手紙を送りました。(今のようにインターネットで検索なんてできない時代でした)そうしたら10校ほどから返事が来て、その中で一番学費が安く

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